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西郷隆盛どんを奉っているでごわす!『南洲神社(南洲会館)』(酒田市飯森山)へ行くの巻♪

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ここは、酒田市飯森山の『土門拳記念館』近くにある南洲神社(南洲会館)
西郷隆盛を奉った神社であることは知っていたけれど、足を運んだのは初めてである。
なぜ、『南洲神社(南洲会館)』へ行ったかといえば・・・なんと、今年の年末に、南洲会館にて、『ぽけっと年忘れライブ2008』を行うことが決まったからである!005.gif
今年も、いろんな場所で、ライブをさせていただいた『ぽけっと』だけれど、今年最後の会場が、「南洲会館」と聞いて、本当に驚いてしまった。
『南洲神社(南洲会館)』を管理している(清掃ボランティアなど)人たちが集まって開催する忘年会に、『ぽけっと』が呼ばれるということだ。

『南洲神社』(西郷隆盛と庄内との繋がり)のことを少し知っておかないと、失礼だろうと思い、昨日、訪問してみた。
また、先日、NHK大河ドラマ『篤姫』の最終回で、西郷隆盛の最期が描かれていた。そんなこともあり、西郷隆盛という人物に関心があった時だったので、偶然なんだろうけど、必然的に『南洲神社』へ行ってみたいという気持ちになったのだ。


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『南洲神社』の鳥居をくぐってすぐのところにある水屋。
石鉢に「丸に十の字」の薩摩藩主島津家の家紋を発見!
神社を参拝し、芳名帳を見てみたら、たくさんの方が、毎日のようにここを訪れていることがわかった。酒田、鶴岡の人が多かったけれど、鹿児島や愛知県など、遠方からも訪れていた。西郷先生を慕い、わざわざ山形県酒田市まで足を運んだのだろうか?


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神社の脇には、庄内藩家老・菅実秀と西郷隆盛の坐像があった。
西郷隆盛の像は、上野でしか見た事がなかった私にとって、自分の住む酒田にあったとは、不思議でならなかった。しかも、二人が対面している坐像というのは、初めて見た形である。


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この坐像の下に「徳の交わり」ということで、西郷隆盛と庄内との繋がりが書かれてあった。(この画像をクリックすると拡大して読めます)

西郷隆盛は、戊辰戦争で降伏した庄内藩に対して、寛大な処置をしたということで、庄内藩士たちに慕われた。そして、西郷隆盛から学んだ素晴らしい教えを後世に伝えたいということで、旧庄内藩士たちは、西郷先生から聞いた教えを1冊の本にまとめ「南洲翁遺訓」という書物を発刊した。
このような経緯があり、昭和51年に、この酒田の地に鹿児島の南洲神社からいただいた西郷先生の御分霊を奉ったのだそうだ。
「南洲会館」では、毎月、人間の道を求め学ぶための教えと、西郷先生の遺された「南洲翁遺訓」をはじめ数多くの教えに学ぶとともに人生経験の豊かな方々より後世の為に役に立つ講話を行っているとのこと。
西郷先生!と今でも、慕われているところが凄いと思う。


西郷隆盛どんを奉っているでごわす!『南洲神社(南洲会館)』(酒田市飯森山)へ行くの巻♪_f0078014_2146020.jpg敬天愛人けいてんあいじん

西郷隆盛が、好んでよく使った座右の銘で、「天を敬(うやま)い、人を愛すること」という意味。

西南戦争にて、庄内の二人の青年が薩摩軍と共に戦い、命を落としたそうだ。それほど、西郷隆盛は、旧庄内藩士たちから慕われていたということがわかった。
歴史の教科書に書かれていない西郷隆盛を知る事ができて、よかったと思う。西郷隆盛という人物が、いなかったら、日本や庄内藩は、一体どうなっていただろう?
先人の偉業をたたえたいと思う。

来週、南洲会館で行われる忘年会では、西郷先生を慕い、神社や会館を管理している人たちに、楽しんでもらえるように、心を込めて演奏したいと思う。
敬天愛人=天がご縁を運んでくださったのであるから、ご縁させていただいた人たちと仲良く、楽しいひとときを過ごしたいと願う。

それにしても、『ぽけっと』の活動を通して、いろんなご縁をいただいていることに「驚き&喜び」を感じている016.gif
by starlitsky_2006 | 2008-12-18 00:05 | TRIP